Broca失語(Broca’s aphasia)とは、脳の前頭葉に位置する運動性言語中枢(ブローカ野)への損傷によって起こる言語障害であり、表出性言語機能に顕著な影響を及ぼす神経学的症候群です。
運動性失語の代表的なタイプとして知られるこの障害では、患者さんは自身の伝えたい内容を明確に理解しているものの、音声言語とする時に困難を示します。
この疾患における特徴的な症状は、語彙の想起や文法的な文章構築の困難さが挙げられ、助詞の使用や語順の組み立てに際して著しい障害が見られ、発話が非流暢で断片的になりやすいです。
Broca失語の主な症状
Broca失語では、文法的な誤りを含む非流暢な発話や単語の想起困難が顕著となり、発話の速度が遅くなるものの、聴覚的な言語理解力は比較的保たれます。
言語表出における特徴的な症状
言語表出における最も特徴的な症状として、発話が努力しないとできないことと文法機能の低下が挙げられ、発話は非流暢となることが多いです。
文を作る際には、助詞や助動詞などのの使用が著しく制限され、名詞や動詞などの内容語を中心とした電報文のような話し方となります。
発話における音の歪みや置換などの構音障害を伴うことが多く、特に文頭の音を発するこが困難です。
発話の特徴 | 表現例 |
機能語の省略 | 「駅・電車・行く」(「駅まで電車で行きます」の意) |
発話の努力性 | 「あ、あ、あの…」と言葉に詰まる様子 |
構音の歪み | 「たまご」を「だまご」と発音 |
言語理解能力の様相
言語理解に関しては、日常会話レベルの単純な文章であれば良好な理解力を示します。
しかしながら、複雑な文法構造を持つ文章や、長文における理解度が低下し、受動文や関係詞を含む文章の理解が難しくなります。
文字言語の理解に関しても、読解力は保たれているものの、音読における困難さが顕著です。
書字能力への影響
書字能力については、以下のような特徴的な症状パターンが認められます。
- 自発書字における文法的な誤りの増加
- 漢字の想起困難と誤字の出現
- 仮名文字の脱落や置換の増加
- 句読点の不適切な使用や省略
書字表出における障害の程度は、発話における障害と必ずしも一致せず、個々の症例によって異なります。
書字の種類 | 障害の特徴 |
自発書字 | 文法的誤りや省略が目立つ |
書き取り | 音韻の誤りによる誤字が増加 |
写字 | 比較的保たれている |
発話リズムと韻律の変化
発話時にはアクセントやイントネーションの平板化が見られ、話し方にリズム感が失われ、感情を込めた発話や抑揚のある話し方が困難となります。
発話速度の低下は、言語を思い出すことや発音の困難さに起因することが多いです。
患者さんの多くは発話における問題点を認識しており、より正確な表現を心がけようとする意識が強く働くため、かえって発話の流暢性が損なわれます。
Broca失語の原因
Broca失語(Broca’s aphasia)は、脳卒中(脳梗塞や脳出血)によって、脳の前方部分にある言葉を作り出す部分(ブローカ野)が傷つくことで起こります。
脳卒中によってBroca失語が起こるしくみ
脳の血管が詰まったり破れたりすることで、言葉を作り出す働きを担う神経細胞が酸素や栄養を受け取れなくなり、深刻な障害を受けることがあります。
血管の異常は、神経細胞が必要とする酸素や栄養を十分に届けられなくなるため、言葉を作り出すための神経のネットワークに重大な影響を及ぼすことが分かっています。
事故による頭部への衝撃で起こる場合
事故の種類 | どのように脳が傷つくか | 失語症を起こす確率 |
頭蓋骨が破損する事故 | 脳が直接傷つく | 高い |
頭を強く打つ事故 | 脳が揺れて傷つく | 中程度 |
交通事故や転落事故などで頭を強く打つと、衝撃で脳の組織が傷つき、前方部分の神経細胞がダメージを受けることで、言葉を作り出す機能が低下します。
事故による脳の損傷には、衝撃を受けた直後に起こる一次的な損傷と、その後に徐々に進行する二次的な損傷があり、特に二次的な損傷では炎症や腫れによって言葉の機能がさらに影響を受けることも。
脳腫瘍による影響
脳腫瘍が大きくなると周りの正常な脳の組織を圧迫したり浸潤することで、言葉を作り出す部分の働きが徐々に弱くなります。
腫瘍による圧迫は、その部分の血液の流れを悪くしたり、周りの組織を腫れさせたりすることで、言葉の機能に大切な影響を与えるのです。
脳の変性疾患との関係
病気の種類 | 脳の変化 | 言葉への影響 |
前頭側頭型認知症 | 脳の前方と横の部分が徐々に小さくなる | 言葉の障害が進行する |
進行性核上性麻痺 | 脳の深部が変性する | 発音と言葉の障害が起こる |
脳の変性疾患では、時間とともに脳の組織が徐々に小さくなっていき、言葉を作り出すための神経のネットワークが次第に弱くなっていきます。
変性疾患で失語が起こる場合の脳中の変化
- 異常なタンパク質が溜まって神経細胞が死んでしまう
- 神経細胞同士の情報伝達が上手くいかなくなる
- 神経細胞のネットワークが壊れていく
- 細胞のエネルギー工場が働かなくなる
- 炎症によって脳の組織が傷つく
脳の変性疾患では、神経細胞同士の連絡を取り持つ物質の働きが低下したり、細胞同士のつながりが減少したりすることで、言葉の機能が障害されます。
診察(検査)と診断
Broca失語を診断する際には、まず患者さまとの会話を通じて言葉の出し方や理解力を確認し、その後で専門的な言語機能検査を行い、さらにMRIなどの画像検査で脳の状態を調べます。
初診時における基本的な診察手順
初診時の診察では、患者さんが普段どのように話されているのかを自然な会話の中で観察することから始め、何気ない会話を通じて、言葉の出にくさや文法の間違いなどについて、さりげなく確認を進めることが重要です。
言葉の出てくる速さや声の大きさ、話し方のリズムなども観察しながら、特に文章を組み立てる際の特徴的な誤りについて、記録を取っていきます。
観察項目 | 確認内容 |
発話の特徴 | 文法的な誤り、文章の組み立て方、言葉の出しやすさ |
音声的特徴 | 声の大きさ、話す速さ、抑揚のつけ方、発音の明瞭さ |
反応性 | 質問への答え方、自分から話す量、会話の自然さ |
言語機能検査
言語機能検査では身近な物の名前を答えていただいたり、簡単な言葉を繰り返していただいたりする課題から始め、徐々により複雑な文章の理解や表現に関する検査へ進めることが大切です。
どのような時に言葉が出にくくなるのか、また、どのような種類の間違いが多く見られるのかについて記録を取りながら、言葉の障害の特徴を明らかにしていきます。
検査する項目
- 自然な会話の中での文法の使い方や言葉の出しやすさの確認
- 医師の言葉を繰り返していただく課題での正確さの確認
- 絵や実物を見て名前を答えていただく課題での語彙力の確認
- 文章を読んだり書いたりする能力の確認
- 指示された動作を行っていただく課題での理解力の確認
画像検査による病変部位の確認
脳の状態を調べるために、MRIやCTといった画像検査を行い、言語を司るBroca野と呼ばれる部分と周辺の様子について、確認します。
画像検査の種類 | 観察のポイント |
MRI検査 | 脳の細かな構造変化、損傷の広がり、周りの組織への影響 |
CT検査 | 出血の有無、全体的な脳の状態、緊急性の判断 |
SPECT検査 | 脳の血液の流れ、各部分の活動状態、機能の低下領域 |
様々な種類の画像検査を組み合わせることで、脳の構造的な変化と機能的な変化の両方を調べ、言語の症状との関連性について分析します。
神経学的所見の確認
言語機能の検査に加えて、口の周りの筋肉の動きや、顔の表情を作る筋肉の力、舌の動かしやすさなどについても診察を行い、言葉を話す際に使う器官の状態を観察します。
また、手足の動きや感覚についても診察を行うことで、言語機能以外の神経の症状についても見落としがないよう、注意が必要です。
Broca失語の治療法と処方薬、治療期間
Broca失語の治療においては、言語療法士による言語訓練を中心に、薬物療法を組み合わせて行います。
言語療法の基本アプローチ
言語療法士による言語訓練では、発話機能の改善を目指して段階的な訓練プログラムを実施し、単語の発話から始まり文章の構築へと難度を上げていくことで、言語機能の回復を促進します。
訓練段階 | 主な訓練内容 | 訓練時間の目安 |
初期段階 | 単語の反復練習と基本的な発声訓練 | 1日30分×3回 |
中期段階 | 短文による会話練習と文法訓練 | 1日45分×2回 |
後期段階 | 日常会話レベルの総合的訓練 | 1日60分×1回 |
言語訓練の初期段階では、発声器官の運動機能を高めることに重点を置き、舌や口唇の運動訓練から始め、徐々に単語の発音練習へと移行します。
中期段階に入ると、基本的な文法規則の理解と使用を促すための訓練を導入し、助詞の使用や語順の組み立てなど、より複雑な言語表現の習得が目標です。
集中的言語訓練プログラム
集中的言語訓練では、次の要素を組み合わせた総合的なアプローチを実施します。
- 音節・単語の反復訓練による発話の明瞭化
- 文法構造の理解と産生を促す構文訓練
- 日常生活で使用頻度の高い会話パターンの練習
- 語彙力向上のための意味カテゴリー別単語練習
- 絵カードや実物を用いた命名訓練
薬物療法
薬剤分類 | 期待される効果 | 投与期間の目安 |
脳循環改善薬 | 言語野への血流増加 | 3~6か月 |
神経伝達物質調整薬 | 神経回路の機能向上 | 6か月~1年 |
薬物療法では、脳の血流を改善し神経細胞の機能を高める作用を持つ薬剤を使用することで、言語訓練の効果を高めることを目指します。
投薬治療では、脳循環改善薬を基本として、神経伝達物質の機能を調整する薬剤を組み合わせることで、より効果的な治療効果を引き出すことが大切です。
言語機能回復のための補助的アプローチ
脳機能の活性化を促すため、音楽療法や絵画療法などの創造的活動を言語訓練に取り入れることで、言語機能の回復を多角的に支援することが可能です。
言語機能の回復には個人差が大きいですが、早期から計画的な言語訓練を開始することで、より良い回復が期待できます。
多くの患者さんが基本的なコミュニケーション能力の改善を実感できるのは、3か月から6か月後です。
Broca失語の治療における副作用やリスク
Broca失語の治療過程では、言語訓練や投薬による副作用、また訓練に伴う身体的な負担など、様々なリスクがあります。
薬物療法における副作用
薬剤の種類 | 一般的な副作用 | 発現頻度 |
脳循環改善薬 | 胃部不快感、めまい | 5-10% |
神経伝達物質調整薬 | 嘔気、頭痛、不眠 | 10-15% |
脳循環改善薬の使用に際しては、胃腸障害や頭痛といった副作用に加えて、血圧の変動や出血傾向の増加といった循環器系への影響にも注意が必要です。
神経伝達物質に作用する薬剤では、投与初期において吐き気や食欲不振などの消化器症状が現れることがあります。
訓練による身体的負担とリスク
言語訓練に伴う主なリスク要因
- 発声練習による声帯への過度な負担
- 舌や口腔周囲筋の疲労や緊張
- 長時間の訓練による全身性の疲労
- 誤嚥性肺炎の発症リスク
- 過度な訓練による血圧上昇
発声器官への負担は訓練初期において注意を要し、過度な訓練は声帯の炎症や嗄声を起こす危険性があります。
投薬治療の相互作用
複数の薬剤を併用する際には薬物間の相互作用に気を付ける必要があり、特に、抗凝固薬や降圧薬との組み合わせでは、出血リスクや血圧変動のリスクが高いです。
また、高齢の患者さんでは、腎機能や肝機能の低下により薬物の代謝が遅延することがあり、副作用が出現しやすくなります。
治療費について
実際の治療費(医療費)が以下説明より高額になるケースが多々ございます。以下記載内容について当院では一切の責任を負いかねます事を予めご了承下さい。
リハビリテーション費用の内訳
リハビリテーションの標準的な実施頻度は週2〜3回で、3〜6ヶ月の継続が一般的です。
治療内容 | 自己負担額(3割負担の場合) |
言語聴覚療法(1単位) | 2,000〜3,000円 |
作業療法(1単位) | 2,500〜3,500円 |
理学療法(1単位) | 2,500〜3,500円 |
画像診断・検査費用
検査内容 | 自己負担額(3割負担の場合) |
MRI検査 | 15,000〜20,000円 |
CT検査 | 8,000〜12,000円 |
脳血流SPECT | 10,000〜15,000円 |
標準失語症検査 | 3,000〜5,000円 |
神経心理学的検査 | 4,000〜6,000円 |
WAB失語症検査 | 4,000〜6,000円 |
主な言語機能検査
- SLTA(標準失語症検査)完全版
- WAB-R(ウェスタン失語症検査改訂版)
- SALA(言語評価検査)
- J-WAB(日本版ウェスタン失語症検査)
- Token Test(トークンテスト)
投薬治療の費用
脳循環改善薬や神経保護薬などの処方薬は、1ヶ月あたり3,000円から8,000円程度の自己負担です。
薬剤種類 | 月間自己負担額(3割負担) |
脳循環改善薬 | 3,000〜6,000円 |
神経保護薬 | 4,000〜8,000円 |
抗血小板薬 | 2,000〜5,000円 |
以上
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