Sheehan症候群(Sheehan’s syndrome)とは、出産時の大量出血が原因で下垂体前葉が障害を受けホルモン分泌機能が低下するまれな疾患です。
この症候群は出産後に大量出血を経験した女性に起こる可能性があり、下垂体前葉の細胞が壊死することでさまざまなホルモンの分泌が減少し、体全体の機能に影響を及ぼします。
症状は徐々に進行し、疲労感、脱毛、低血圧、乳汁分泌の停止などが見られることがあり、日常生活に支障をきたす場合もあります。
Sheehan症候群の主な症状
Sheehan症候群の主な症状は、ホルモンバランスの乱れによる多様な身体的・精神的変化として現れます。
ホルモン分泌不全による全身症状
Sheehan症候群の主な症状は下垂体前葉から分泌される各種ホルモンの不足に起因し、全身倦怠感や易疲労感を訴えることが多いです。
また、体重減少や食欲不振といった栄養状態の悪化も見られます。
生殖機能への影響
Sheehan症候群は生殖機能にも大きな影響を与え、無月経や乳汁分泌不全が認められます。
症状 | 特徴 |
無月経 | 長期間持続することが多い |
乳汁分泌不全 | 産後の授乳に影響を与える |
代謝異常と体温調節障害
Sheehan症候群では甲状腺機能低下症を併発することがあり、代謝が低下することで体温調節機能に障害が生じる場合があります。
- 寒がり
- 皮膚の乾燥
- 脱毛
- 便秘
精神症状と認知機能への影響
Sheehan症候群は精神面にも影響を及ぼし、うつ症状や不安感が強くなり、記憶力の低下や集中力の減退といった認知機能の変化も報告されています。
精神症状 | 認知機能の変化 |
うつ | 記憶力低下 |
不安 | 集中力減退 |
副腎不全による症状
Sheehan症候群では副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌不全により副腎機能が低下します。
ストレスへの対応力が低下し、血圧低下や低血糖といった症状が現れることがあるので注意が必要です。
副腎不全による症状 | 特徴 |
血圧低下 | 立ちくらみや失神の原因となる |
低血糖 | 意識障害を引き起こす可能性がある |
電解質異常
Sheehan症候群では抗利尿ホルモン(ADH)の分泌不全により電解質バランスが崩れることがあり、特に低ナトリウム血症が問題になります。
電解質異常 | 関連症状 |
低ナトリウム血症 | 頭痛、吐き気、意識障害 |
低カリウム血症 | 筋力低下、不整脈 |
Sheehan症候群の原因
Sheehan症候群は分娩時の大量出血が引き金となって、下垂体前葉の虚血性壊死が起こることが原因です。
分娩時の大量出血
Sheehan症候群の原因は分娩時に発生する大量出血です。
以下のような状況下で大量出血のリスクが高まり、循環血液量が急激に減少し、重要臓器への血流が低下することがあります。
- 子宮弛緩症
- 胎盤遺残
- 産道裂傷
- 凝固障害
下垂体前葉の血流低下
下垂体は体重の約0.1%程度の非常に小さな臓器ですが、機能を維持するためには豊富な血流が不可欠で、血流低下が長時間続くと下垂体前葉の組織が壊死に陥る危険性が高まります。
正常時 | 大量出血時 |
十分な血流 | 血流低下 |
適切なホルモン分泌 | ホルモン分泌障害 |
下垂体前葉の虚血性壊死
血流低下が持続すると下垂体前葉の細胞は十分な酸素や栄養を得られず、やがて壊死に至ります。この過程が虚血性壊死です。
壊死の段階 | 特徴 |
初期 | 細胞の腫脹 |
中期 | 細胞膜の破壊 |
後期 | 組織の崩壊 |
ホルモン分泌能力の低下
下垂体前葉は体内の多くの内分泌腺を制御する「司令塔」の役割を果たしているため、壊死すると全身に影響を及ぼします。
ホルモン | 主な作用 |
成長ホルモン | 成長促進、代謝調節 |
副腎皮質刺激ホルモン | 副腎皮質の機能調節 |
甲状腺刺激ホルモン | 甲状腺の機能調節 |
性腺刺激ホルモン | 性腺の機能調節 |
リスク因子と発症の遅延
Sheehan症候群の発症リスクを高める要因は、妊娠高血圧症候群や多胎妊娠、高齢出産などです。
分娩直後から症状が現れることもありますが、数か月から数年後に徐々に症状が顕在化することもあります。
リスク因子 | 影響 |
妊娠高血圧症候群 | 血管の脆弱化 |
多胎妊娠 | 子宮の過度な拡張 |
高齢出産 | 分娩合併症のリスク上昇 |
診察(検査)と診断
Sheehan症候群の臨床診断では症状と病歴を考慮し、確定診断には内分泌機能検査や画像診断が不可欠です。
問診と身体診察
Sheehan症候群の問診では患者さんの出産歴、特に大量出血の有無や輸血の必要性があったかどうかを詳しく聞き、疾患の可能性を推測します。
また、月経不順や無月経、疲労感、皮膚の乾燥、脱毛などの症状についても確認し、症状の程度や発症時期などを把握します。
身体診察では血圧や脈拍、体温などのバイタルサインを測定し、皮膚や毛髪の状態、甲状腺の腫大の有無などを観察することが大切です。
内分泌機能検査
Sheehan症候群の診断では下垂体前葉から分泌されるホルモンの機能を評価することが重要で、複数のホルモン検査を組み合わせて行います。
主な内分泌機能検査
検査項目 | 目的 |
血中コルチゾール | 副腎皮質機能の評価 |
甲状腺刺激ホルモン(TSH) | 甲状腺機能の評価 |
プロラクチン | 乳汁分泌機能の評価 |
成長ホルモン | 成長ホルモン分泌能の評価 |
卵胞刺激ホルモン(FSH) | 生殖機能の評価 |
検査結果が基準値を下回っている場合Sheehan症候群の可能性が高まり、さらなる精査が必要です。
さらに、必要に応じて負荷試験を行うこともあり、ホルモン分泌を促す物質を投与し下垂体の反応性を詳細に評価します。
画像診断
Sheehan症候群の診断における画像診断の役割は、下垂体の形態学的変化を確認することです。
主に用いられる画像検査
- MRI(磁気共鳴画像法)
- CT(コンピュータ断層撮影)
- 下垂体造影検査
MRIは軟部組織の描出に優れているため、下垂体の萎縮や空洞化を鮮明に捉えることができ、Sheehan症候群の診断において最も有用な画像検査方法です。
各画像検査の特徴
検査方法 | 特徴 |
MRI | 軟部組織の描出に優れ、下垂体の詳細な観察が可能 |
CT | 骨構造の評価に適しており、短時間で撮影可能 |
下垂体造影検査 | 造影剤を用いて血流や組織の状態を評価 |
超音波検査 | 甲状腺など周辺組織の評価に有用 |
鑑別の必要性
診断の過程では他の内分泌疾患との鑑別も重要で、下垂体腫瘍や自己免疫性下垂体炎などの可能性も考慮し慎重に診断を進めていく必要があります。
鑑別疾患 | 特徴 |
下垂体腫瘍 | MRIで腫瘤性病変が見られる |
自己免疫性下垂体炎 | 抗下垂体抗体が陽性となることがある |
リンパ球性下垂体炎 | 妊娠後期や産褥期に発症することがある |
頭部外傷後の下垂体機能低下 | 外傷の既往がある |
Sheehan症候群の治療法と処方薬、治療期間
Sheehan症候群の治療は、欠乏しているホルモンを補充することが基本です。
患者さんの状態に応じて複数のホルモン剤を組み合わせた長期的な治療が行われ、治療期間は生涯にわたることが多く、定期的な経過観察と投薬調整が必要になります。
ホルモン補充療法
Sheehan症候群の治療の中心はホルモン補充療法です。欠乏しているホルモンを外部から補充することで、体内のホルモンバランスを整えます。
補充が必要となる主なホルモン
- 副腎皮質ホルモン(コルチゾール)
- 甲状腺ホルモン
- 性ホルモン
- 成長ホルモン
副腎皮質ホルモン補充
副腎皮質ホルモンの補充は、Sheehan症候群の治療において最も優先度が高いものの一つです。
薬剤名 | 投与方法 |
ヒドロコルチゾン | 経口 |
プレドニゾロン | 経口 |
通常朝に多く夕方に少ない量を服用する「生理的投与」が行われ、投与量は個々の患者さんの状態に応じて調整されます。
甲状腺ホルモン補充
甲状腺機能低下症を伴う患者さんには甲状腺ホルモンの補充が行われます。
薬剤名 | 特徴 |
レボチロキシンナトリウム | 長時間作用型 |
リオチロニンナトリウム | 速効性 |
朝食前に服用することが推奨され、投与量は血中甲状腺ホルモン濃度を定期的に測定しながら調整されます。
性ホルモン補充
治療ではエストロゲンとプロゲステロンの補充も検討され、月経周期の回復や骨密度の維持が目標です。
薬剤タイプ | 投与方法 |
経口薬 | 錠剤 |
経皮薬 | パッチ、ゲル |
閉経前の女性には周期的なホルモン補充療法が行われますが、閉経後の女性では連続的な補充療法や低用量のホルモン療法が選択されることもあります。
予後と再発可能性および予防
Sheehan症候群の予後は早期診断と管理により改善が期待できますが、ホルモン補充療法の継続が重要です。
予後の見通し
Sheehan症候群では早期に診断されホルモン補充療法が開始されれば、多くの患者さんで症状の改善が見られ、日常生活の質が向上が期待できます。
一方で、長期間未診断のまま経過した場合、一部の症状が完全には改善しないこともあるので注意が必要です。
予後に影響を与える要因
要因 | 予後への影響 |
診断までの期間 | 早期診断ほど良好 |
症状の重症度 | 軽度ほど改善しやすい |
ホルモン補充の適切さ | 適切な補充で改善促進 |
合併症の有無 | 合併症が少ないほど良好 |
患者の年齢 | 若年ほど回復が早い傾向 |
再発可能性と長期的な管理
Sheehan症候群は管理を行うことで症状の再燃や悪化を防ぐことができ、安定した状態を維持できる可能性が高くなります。
再発のリスクは比較的低いものの、ストレスや他の疾患の併発によりホルモンバランスが崩れる可能性があるため、日常生活での注意と定期的なモニタリングが不可欠です。
長期的な管理のポイント
管理項目 | 内容 |
定期検診 | ホルモン値の確認と調整 |
日常生活の観察 | 症状の変化に注意 |
ストレス管理 | 過度のストレスを避ける |
感染予防 | 免疫機能低下に注意 |
運動習慣 | 適度な運動の継続 |
栄養管理 | バランスの取れた食事 |
予防法と早期発見の重要性
Sheehan症候群の予防には大量出血のリスクを最小限に抑えることが必要で、産前から産後にかけての継続的なケアが重要になってきます。
予防と早期発見のためのポイント
項目 | 内容 |
産前ケア | リスク評価と管理 |
産中ケア | 出血量のモニタリング |
産後ケア | 症状の観察と早期介入 |
患者教育 | 症状の自己観察法の指導 |
家族支援 | 家族による観察と支援 |
フォローアップ | 定期的な産後健診の実施 |
早期発見のためには産後の体調変化に注意を払い、持続する疲労感や母乳分泌の問題などがある際は、医療機関を受診することが大切です。
Sheehan症候群の治療における副作用やリスク
Sheehan症候群の治療はホルモン補充療法が中心ですが、さまざまな副作用やリスクが伴う可能性があります。
副腎皮質ホルモン補充療法の副作用
副腎皮質ホルモン補充療法の主な副作用
- 体重増加
- 骨密度低下
- 血糖値上昇
- 消化性潰瘍
- 感染症リスクの増加
副作用は投与量や期間によって発生リスクが変化します。
副作用 | 発生頻度 |
体重増加 | 比較的高い |
骨密度低下 | 中程度 |
血糖値上昇 | 個人差大 |
長期使用による副腎機能抑制のリスクもあるため、慎重な投与量調整が欠かせません。
甲状腺ホルモン補充療法のリスク
甲状腺ホルモン補充療法では、過剰投与による甲状腺機能亢進症状に注意が必要です。
過剰投与時に現れる可能性がある症状
- 動悸
- 発汗過多
- 不眠
- 体重減少
- 下痢
リスク | 対処法 |
甲状腺機能亢進症状 | 投与量調整 |
骨密度低下 | 定期的な骨密度検査 |
性ホルモン補充療法の副作用
性ホルモン補充療法では、エストロゲンとプロゲステロンの投与に伴う副作用があります。
エストロゲン関連の副作用
- 乳房痛
- 浮腫
- 悪心
- 血栓症リスクの増加
プロゲステロン関連の副作用は気分変動や頭痛などです。
ホルモン | 主な副作用 |
エストロゲン | 乳房痛、浮腫 |
プロゲステロン | 気分変動、頭痛 |
特に、血栓症リスクの増加は重大な副作用として認識されており、患者さんの既往歴や生活習慣を考慮した慎重な投与が必要です。
複合的なホルモン補充療法のリスク
Sheehan症候群の治療では複数のホルモンを同時に補充することが多いため、相互作用によるリスクもあります。
- 甲状腺ホルモンと副腎皮質ホルモンの同時投与 甲状腺ホルモンの代謝が促進され、効果が減弱する可能性。
- 成長ホルモンと甲状腺ホルモンの相互作用 甲状腺機能に影響を与える場合も。
組み合わせ | リスク |
甲状腺ホルモン + 副腎皮質ホルモン | 甲状腺ホルモン効果減弱 |
成長ホルモン + 甲状腺ホルモン | 甲状腺機能への影響 |
治療費について
実際の治療費(医療費)が以下説明より高額になるケースが多々ございます。以下記載内容について当院では一切の責任を負いかねます事を予めご了承下さい。
診断・検査費用
Sheehan症候群の診断には複数の検査が必要となります。
血液検査や内分泌機能検査の費用は、一般的に8,000円から20,000円程度です。
MRIなどの画像診断は、30,000円から50,000円ほどかかることがあります。
ホルモン補充療法の費用
ホルモン補充療法は、Sheehan症候群の主要な治療法です。
主なホルモン製剤の月額費用
ホルモン製剤 | 月額費用(概算) |
副腎皮質ホルモン | 3,000円~7,000円 |
甲状腺ホルモン | 2,000円~4,000円 |
性ホルモン | 4,000円~10,000円 |
成長ホルモン | 50,000円~100,000円 |
定期的な通院・検査費用
定期的な通院と検査は、治療効果の確認と調整に必要です。
- 血液検査(2~3ヶ月ごと)5,000円~10,000円
- 内分泌機能検査(年2~3回)10,000円~25,000円
- 画像検査(年1回程度)20,000円~40,000円
以上
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