正常圧水頭症(NPH)(normal pressure hydrocephalus)とは、脳の中を循環する脳脊髄液(髄液)の流れや吸収に問題が生じ、脳室内に過剰な髄液が溜まることで様々な症状が起こる神経疾患です。
加齢とともに発症リスクが高まり、歩行時のふらつきや小刻み歩行などの歩行障害、記憶力の低下や判断力の衰えなどの認知機能障害、尿意を我慢できないなどの排尿障害という3つの主要な症状が現れます。
脳の深部に位置する脳室での髄液貯留により、周囲の神経組織が持続的に圧迫されることで、神経症状が徐々に進行していきます。
正常圧水頭症(NPH)の主な症状
正常圧水頭症(NPH)は、「歩行障害」「認知機能障害」「排尿障害」という3つの主要な症状を特徴とします。
歩行機能の低下
正常圧水頭症における歩行障害は、脳室の拡大によって大脳皮質や深部白質が持続的な圧迫を受けることで起こり、前頭葉機能の低下と関連しています。
足が地面に張り付くような独特の感覚があり、マグネティックゲートとも呼ばれるすり足歩行となり、容易に気づける特徴的な所見です。
高齢者に多く見られる一般的なふらつきや平衡感覚の低下とは異なり、正常圧水頭症による歩行障害では、歩幅が著しく狭くなり、方向転換時には複数の小さなステップが必要です。
また、急いで方向転換をしようとした際にバランスを大きく崩しやすくなります。
歩行障害の特徴 | 症状 |
歩行スピード | 通常よりも遅く、慎重な歩行になり、加速や減速が困難になる |
姿勢の変化 | 前傾姿勢となり、バランスが不安定で、特に後方への転倒リスクが高まる |
歩行パターン | すり足歩行、小刻み歩行が目立ち、足の挙上が困難になる |
方向転換 | 複数歩に分けて慎重に行う必要があり、素早い動作が著しく困難になる |
認知機能の変化
認知機能障害は、注意力の低下や思考速度の遅延が初期から現れる症状で、アルツハイマー型認知症とは異なる認知機能の低下パターンを示します。
記憶力の低下や判断力の障害などの症状は、脳室周囲の神経回路が慢性的な圧迫を受けることによって起き、前頭葉機能に関連する高次脳機能が影響を受けやすいです。
計画を立てて物事を実行する能力に影響が出ることが多く、診断における重要な指標の一つとなっています。
認知機能の主な変化
- 注意力や集中力の持続が困難になり、複数の作業を同時に行うことが難しくなる
- 情報処理速度が全般的に遅くなり、会話の理解や応答に時間がかかるようになる
- 新しい情報の記憶が特に障害され、最近の出来事を思い出すことができなくなる
- 計画立案や問題解決能力が低下し、複雑な作業の遂行が困難になる
- 状況判断や意思決定に時間がかかり、急を要する判断が必要な場面での対応ができなくなる
排尿機能の変化
排尿障害は、脳室の拡大により膀胱機能を制御する神経回路に影響が及ぶことで生じる症状で、前頭葉の機能低下による抑制機能の障害が関与しています。
排尿障害の種類 | 特徴的な症状 |
尿意切迫 | 突然の強い尿意を感じ、我慢することが著しく困難になる |
頻尿 | 排尿回数が増加し、短時間での排尿欲求が繰り返される |
夜間頻尿 | 夜間の排尿回数が著しく増え、睡眠が頻繁に中断される |
尿失禁 | トイレまでの到達が間に合わず、歩行障害との複合により症状が悪化する |
正常圧水頭症(NPH)の原因
正常圧水頭症(NPH)は、脳の中を循環する脳脊髄液の流れが滞ることや、脳脊髄液を吸収する仕組みに問題が生じることで発症し、原因不明の特発性と原因が特定できる続発性という二つの発症メカニズムを持ちます。
発症メカニズムの基本
脳脊髄液は、脳の中にある脳室という空間で絶えず作られており、通常であれば脳の表面にあるくも膜顆粒を通り血液中に吸収される過程で、様々な要因によって正常な循環が妨げられます。
循環の障害が続くと、脳室内に脳脊髄液が少しずつ溜まっていき、周りの脳組織が持続的に圧迫を受けることで、次第に脳の機能に支障をきたすようになります。
特発性正常圧水頭症の原因
加齢に伴って起こる脳の構造変化や、血管の状態が変化することが、特発性正常圧水頭症の発症の原因です。
要因 | 詳細な機序 |
加齢性変化 | くも膜顆粒の機能が年齢とともに低下し、脳脊髄液の吸収が困難になる |
血管性要因 | 脳の細かい血管に障害が起き、脳の柔軟性が失われていく |
年齢を重ねることで、脳脊髄液を吸収するくも膜顆粒の機能が徐々に低下していき、脳脊髄液の吸収効率が落ち、脳室内に脳脊髄液が徐々に溜まりやすい状態が作られていくのです。
また、脳の細かい血管に問題が生じることで、本来柔らかく保たれるべき脳の組織が硬くなり、脳脊髄液の流れ方に変化が生じ、正常圧水頭症を起こすリスクが高まります。
続発性正常圧水頭症の原因
頭に強い衝撃を受けることによる外傷や、脳の血管が破れることで起こるくも膜下出血などの後遺症として、脳脊髄液が流れる経路に障害が生じることが、続発性正常圧水頭症の主要な原因です。
続発性正常圧水頭症の原因
- 交通事故などによる頭部外傷で、脳室の周りの組織が傷つくことによる循環障害
- くも膜下出血の後に血液成分が脳脊髄液の通り道を塞ぐことによる流れの悪化
- 髄膜炎による炎症で脳脊髄液の循環路が障害されることによる流れの停滞
- 脳腫瘍により脳脊髄液の通り道が圧迫されることによる循環障害
リスク因子と関連疾患
生活習慣病をはじめとする様々な疾患や身体の状態が、正常圧水頭症の発症リスクを高めることが分かってきました。
リスク因子 | 関連性 |
高血圧 | 血管の内側を覆う細胞の機能が低下し、脳の血液循環が悪化 |
糖尿病 | 細かい血管が障害を受け、脳の組織が変性する可能性が上昇 |
心疾患 | 脳への血液供給が減少し、組織の代謝に問題が生じやすい |
基礎疾患は、脳の中の細かい血管の循環に問題を起こすことで、脳脊髄液の循環にも悪影響を及ぼす可能性が高いです。
長期間にわたって血圧が高い状態が続くと、血管の内側を覆う細胞の働きが低下し、脳の組織の中の細かい血管での血液の流れが悪くなり、脳脊髄液の循環にも支障をきたします。
診察(検査)と診断
正常圧水頭症(NPH)の診断では、神経学的診察による身体所見の確認、MRIやCTなどの画像検査、そして脳脊髄液検査を組み合わせて実施します。
神経学的診察について
神経学的診察は、患者さんの状態を観察して神経系の機能を調べ、歩行状態の変化や神経学的な異常所見を把握することで、病態の進行度合いを評価できます。
特に歩行機能に関しては、歩行速度や歩幅、バランス機能など、複数の要素について観察を行い、補助具の使用状況や転倒の既往なども聞き取りことが大切です。
神経学的診察項目 | 検査内容 |
歩行検査 | 10メートル歩行テスト、方向転換動作の確認、継ぎ足歩行テストなどを通じて歩行機能を評価 |
反射検査 | 膝蓋腱反射、アキレス腱反射などの深部腱反射を確認し、病的反射の有無も併せて評価 |
筋力検査 | 上下肢の筋力測定、握力テスト、足首の底屈力測定などを通じて運動機能を評価 |
感覚検査 | 振動覚、位置覚、温痛覚などの感覚機能について、全身の左右差なども含めて確認 |
画像診断
MRI検査では、T1強調画像による解剖学的構造の評価、T2強調画像による病変の検出、FLAIR画像による脳室周囲の評価などを組み合わせて行います。
また、冠状断や矢状断での撮影を行うことで、脳室の立体的な形状評価が可能です。
確認する特徴的な所見
- 両側性の脳室拡大が認められるかどうか、側脳室前角の拡大度合いに注目して評価を行う
- 脳室上衣下や深部白質の信号変化の有無について、T2強調画像やFLAIR画像で確認する
- 中脳水道の開存性は保たれているか、狭窄や閉塞がないかどうかを慎重に確認
- 脳溝の開大状態はどうか、年齢相応の萎縮との鑑別を含めて評価
- 脳室周囲の浮腫性変化の有無について、特にFLAIR画像での高信号域の分布を確認
髄液検査
髄液検査は、腰椎穿刺により脳脊髄液を採取し、髄液圧の測定や成分分析を行う基礎的な検査です。
髄液検査項目 | 検査内容と意義 |
初圧測定 | 髄液圧が正常範囲内(70-245mmH2O)にあることを確認し、他の水頭症との鑑別に役立てる |
髄液排除試験 | 30-50mL程度の髄液を排除し、歩行機能や認知機能の改善の有無を確認する |
髄液成分分析 | 蛋白質濃度、細胞数、糖濃度などを測定し、炎症性疾患との鑑別を行う |
髄液流出試験 | 持続的な髄液圧測定により髄液の流出抵抗を定量的に評価する |
特殊検査と補助診断
特殊検査として実施される脳血流SPECT検査やシスタノグラフィーなどの検査は、従来の検査方法では得られない機能的な情報を提供します。
放射性同位元素を用いたシスタノグラフィーでは、脳脊髄液の循環動態を経時的に観察することができ、検査結果は髄液循環障害の程度や部位の特定に有用です。
正常圧水頭症(NPH)の治療法と処方薬、治療期間
正常圧水頭症(NPH)の治療は、過剰に貯留した脳脊髄液を効果的に排出するためのシャント手術を主体として、それを補完する薬物療法を組み合わせながら実施します。
シャント手術による治療
脳室腹腔シャント術(VPシャント)は、NPHに対する代表的な手術方法です。
シャント手術の種類 | 特徴と手術方法 |
脳室腹腔シャント | 頭部に小さな穴を開けて脳室内に細いチューブを留置し、皮下を通して腹部まで誘導することで、過剰な髄液を腹腔内に排出する方法 |
腰部クモ膜下腔腹腔シャント | 腰椎部からクモ膜下腔に細いチューブを挿入し、皮下を通して腹部まで誘導することで、過剰な髄液を腹腔内に排出する方法 |
シャント手術では、圧可変式バルブを使用することで、髄液の流量を細かく調節することが可能です。
手術時間は2〜3時間程度で、全身麻酔下で実施され、手術創は比較的小さく、術後の痛みも限定的であることから、高齢の患者さんでも安全に受けられます。
術後の調整と経過
2〜3週間程度の入院期間が必要となりますが、術後の経過が良好な場合には、早期の退院も検討できます。
手術直後から行う調整や確認
- 患者の状態に応じたシャントバルブの圧設定値の細やかな調整
- 定期的なレントゲン撮影を用いたシャントシステムの位置確認と機能評価
- 頭部CT検査による脳室サイズの継続的な評価と変化の確認
- 歩行状態や日常生活動作の定期的な評価と記録
薬物療法による補助的治療
手術療法と併用して薬物療法を実施することで、より効果的な治療効果を得られます。
薬剤の種類 | 使用目的と効果 |
利尿薬(アセタゾラミド) | 脳脊髄液の産生を抑制し、脳室内圧を低下させることで症状の改善を促進 |
神経保護薬(エダラボン) | 酸化ストレスから脳組織を保護し、神経細胞の機能維持をサポート |
利尿薬として使用されるアセタゾラミドは、髄液の過剰な産生を防ぐことで脳室内の髄液量のコントロールを助ける効果があります。
神経保護薬については、シャント手術前後に脳組織の機能維持をサポートする目的で使用され、特に手術直後の回復期における神経機能の保護に重要です。
リハビリテーション
手術後の機能回復を促進するためのリハビリテーションプログラムは、段階的に強度を上げていく形で実施していきます。
理学療法士による歩行訓練や筋力強化運動、作業療法士による日常生活動作の訓練を組み合わせることで、術後3〜6か月で明らかな改善を認めることが多いです。
正常圧水頭症(NPH)の治療における副作用やリスク
正常圧水頭症の治療における中心的な治療法であるシャント手術では、手術自体に伴う一般的な合併症リスクに加えて、シャントシステムを体内に留置することに関連する固有の副作用や合併症があります。
手術直後の合併症
手術部位の感染予防に関しては通常の手術以上に慎重な対応が求められ、頭皮の切開部位や、シャントチューブが皮下を通過する部分全体にわたって、創部の管理を入念に行うことが重要です。
術後早期の合併症 | 内容 |
手術部位感染 | 創部の発赤、腫脹、発熱などが出現し、重症化すると髄膜炎に進展する危険性がある |
頭蓋内出血 | 手術操作に伴う出血や血腫形成により神経症状が悪化する可能性がある |
髄液漏 | 創部からの髄液の漏出により、感染リスクが上昇し、追加手術が必要となる場合がある |
術後痛 | 手術創部の疼痛や頭痛が遷延し、日常生活動作に支障をきたすことがある |
シャントシステムに関連する問題
シャントシステムは髄液の流れを制御する装置で、以下のような問題が生じる可能性があります。
- シャントの閉塞による機能不全が発生し、髄液の流れが妨げられることで症状が再燃する危険性
- カテーテルの移動や断裂により、シャントシステム全体の機能が失われ、緊急の再手術が必要となることがある
- バルブの設定値の不適合により、髄液の排出量が過多または過少となり、症状のコントロールが困難になる
- シャントシステムの感染により、全身性の感染症に発展するリスク
- 過剰な髄液排出により、硬膜下血腫などの重篤な合併症が引き起こされる可能性
長期的な合併症とその対策
長期的な合併症として、シャントシステムの経年劣化や機能変化に伴う問題が発生することがあります。
長期合併症 | 注意点 |
機械的故障 | 定期的な画像検査による確認を行い、シャントの閉塞や断裂を早期に発見することが重要 |
慢性感染 | 発熱や炎症反応の継続的な観察を行い、潜在的な感染症の有無を評価する必要 |
腹腔内合併症 | 腹痛や腹部膨満感の評価を行い、腹腔内でのシャントカテーテルの問題を確認 |
皮下組織の変化 | シャントルートに沿った異常の確認を行い、皮膚の菲薄化や感染の兆候を早期に発見 |
治療費について
実際の治療費(医療費)が以下説明より高額になるケースが多々ございます。以下記載内容について当院では一切の責任を負いかねます事を予めご了承下さい。
シャント手術の種類と費用
シャント手術の種類 | 3割負担の場合の費用 | 入院期間の目安 | 特徴 |
脳室腹腔シャント(VP) | 15万円~18万円 | 10~14日 | 最も一般的な術式 |
腰部腹腔シャント(LP) | 17万円~20万円 | 14~18日 | 高齢者に選択されやすい術式 |
脳室心房シャント(VA) | 20万円~25万円 | 14~21日 | 腹腔内に問題がある場合に選択 |
シャント再建術 | 12万円~15万円 | 7~10日 | シャントの不具合時に実施 |
バルブ交換術 | 8万円~10万円 | 5~7日 | 圧調整機能の不具合時に実施 |
シャント手術の種類によって費用が異なる理由は、手術の複雑さや使用する医療材料の違いによるものです。
検査費用の内訳
検査項目 | 3割負担の場合の費用 | 備考 |
MRI検査 | 15,000円~20,000円 | 年2回程度 |
CT検査 | 8,000円~12,000円 | 状態により回数変動 |
脳脊髄液検査 | 12,000円~15,000円 | 診断時に必須 |
歩行機能検査 | 3,000円~5,000円 | 定期的に実施 |
治療後の定期フォローアップ費用
シャント手術後は定期的な経過観察が欠かせません。
神経内科の診察で確認する項目
- 脳神経外科での定期診察(1回3,000円~5,000円)
- 頭部レントゲン撮影(1回4,000円~6,000円)
- 認知機能検査(1回5,000円~8,000円)
- シャント圧調整(1回2,000円~3,000円)
薬物療法にかかる費用
症状の管理のために使用する薬剤費用は、月額3,000円から8,000円程度になります。
以上
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