遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)(hereditary breast and ovarian cancer)とは、特定の遺伝子変異が原因となり、乳がんや卵巣がんの発症リスクが著しく上昇する遺伝性疾患です。
BRCA1遺伝子やBRCA2遺伝子の変異に起因し、同一家系内で乳がんや卵巣がんの発症頻度が高い場合に疑われ、遺伝子検査を通じて確定診断します。
早期発見と予防策の実施が重要です。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の種類(病型)
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)は、BRCA1関連HBOCとBRCA2関連HBOCに分けられます。
BRCA1関連HBOC
BRCA1遺伝子の変異によるHBOCは、乳癌の発症リスクは約60-80%と高く、40-50歳代での若年発症が多いです。
卵巣癌の発症リスクも約40-60%と高率で、BRCA2関連HBOCと比べると発症リスクが顕著に高くなっています。
癌の種類 | 生涯発症リスク | 好発年齢 | 病理学的特徴 |
乳癌 | 60-80% | 40-50歳代 | トリプルネガティブ型が多い |
卵巣癌 | 40-60% | 50-60歳代 | 高異型度漿液性癌が多い |
BRCA1関連HBOCでは乳癌や卵巣癌以外にも、膵癌や前立腺癌などの他の癌種のリスクも上昇します。
BRCA2関連HBOC
BRCA2遺伝子の変異によるHBOCでは、乳癌の発症リスクは約60-70%と高く、BRCA1関連HBOCと同様に40-50歳代での若年発症が多いです。
卵巣癌の発症リスクは約10-20%で、BRCA1関連HBOCと比較するとやや低くなっています。
癌の種類 | 生涯発症リスク | 好発年齢 | 病理学的特徴 |
乳癌 | 60-70% | 40-50歳代 | ホルモン受容体陽性型が多い |
卵巣癌 | 10-20% | 60-70歳代 | 高異型度漿液性癌が多い |
BRCA2関連HBOCでは、前立腺癌や膵癌、悪性黒色腫のリスクも上がります。
両病型に共通する特徴
BRCA1関連HBOCとBRCA2関連HBOCには、いくつかの共通点があります。
- 常染色体優性遺伝形式をとり、親から子への遺伝的伝達リスクが50%
- 男性においても乳癌のリスクが上昇
- 両側性乳癌の発症リスクが高く、片側の乳癌治療後も経過観察が必要
- 若年発症が多く、通常の乳癌検診開始年齢よりも早期からの検査が必須
病型による臨床的な相違点
BRCA1関連HBOCとBRCA2関連HBOCでは、臨床的にいくつかの違いが見られます。
BRCA1関連HBOCではトリプルネガティブ乳癌の割合が高いため、ホルモン療法の効果が限定的であることが多く、化学療法や分子標的薬が治療選択肢となることが少なくありません。
一方、BRCA2関連HBOCはホルモン受容体陽性乳癌が多いため、ホルモン療法が有効なケースが多いです。
また、BRCA2関連HBOCでは、男性乳癌のリスクがBRCA1関連HBOCよりも高く、男性患者さんのフォローアップに特別な配慮が必要となります。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の主な症状
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)は、特有の症状や徴候が現れます。
乳房に関する症状
乳房に関連するHBOCの症状は、しこりや変形、皮膚の変化です。一般的な乳がんと似た特徴を持ちますが、より若年で発症します。
症状 | 特徴 |
しこり | 固く、周囲との境界が不明筭 |
皮膚の変化 | 凹み、肥厚、赤みなどの色調変化 |
乳頭の異常 | へこみや分泌物の出現 |
卵巣に関する症状
卵巣がんの症状は初期段階では気づきにくく、進行に伴いさまざまな症状が現れます。
- お腹の膨らみや痛み
- 頻繁な尿意や排尿時の違和感
- 食欲減退や体重の減少
- 全身のだるさや疲れやすさ
その他の関連がんにおける症状
HBOCは乳がんと卵巣がん以外にも、他のがん種のリスクも高いです。
がんの種類 | 症状 |
膵臓がん | 腹部の痛み、皮膚や白目の黄ばみ、体重減少 |
前立腺がん | 排尿困難、頻尿、夜間の頻繁な尿意 |
皮膚がん | 新たなほくろの出現や既存のほくろの形状変化 |
がん以外の症状
HBOCの遺伝子変異を持つ方々で見られるのは、通常よりも早い時期の閉経や生殖に関する問題です。
これらの症状が必ずしもHBOCを意味するわけではありませんが、家族歴と合わせて考慮すると、遺伝子検査の必要性を判断する手がかりになります。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の原因
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の要因は、BRCA1遺伝子あるいはBRCA2遺伝の変異です。
変異が生じるとDNA修復機能が低下し、乳癌や卵巣癌の発症リスクがはっきりと上昇します。
HBOCの遺伝学的背景
HBOCは常染色体優性遺伝の形式を取り、両親のどちらか一方から変異遺伝子を受け継ぐだけで、発症リスクが高まります。
BRCA1遺伝子とBRCA2遺伝子は、腫瘍を抑制し、正常な細胞分裂とDNA修復において重要な遺伝子です。
BRCA1遺伝子とBRCA2遺伝子の働き
BRCA1遺伝子とBRCA2遺伝子の機能
機能 | BRCA1 | BRCA2 |
DNA修復 | ◯ | ◯ |
細胞周期制御 | ◯ | × |
アポトーシス誘導 | ◯ | × |
転写制御 | ◯ | × |
遺伝子が正常に機能しない状況では細胞のDNA修復能力が低下し、遺伝子変異が蓄積されやすくなり、悪性腫瘍が発生するリスクが増加します。
HBOCにおける遺伝子変異の特性
HBOCの原因となる遺伝子変異には、特徴的な性質があります。
- 生殖細胞系列変異:親から子へと世代を超えて受け継がれる
- 高い浸透率:変異を持つ人の多くが生涯のうちに癌を発症
- 多様な変異パターン:欠失、挿入、ミスセンス変異など、様々な形態の変異が観察
環境要因とHBOCの関連性
遺伝的要因が主要な原因であることは間違いありませんが、環境要因もHBOCの発症リスクに影響を与える可能性があります。
環境要因 | リスクへの影響 |
肥満 | 上昇 |
飲酒 | 上昇 |
運動不足 | 上昇 |
健康的な食生活 | 低下 |
診察(検査)と診断
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の早期発見と予防には、検査とチェック方法を組み合わせます。
家族歴の綿密な評価
HBOCの診断においては、家族歴の評価が必要です。
評価項目 | 注目すべき点 |
発症年齢 | 50歳未満での乳がん発症、特に若年での発症 |
がんの種類 | 乳がん、卵巣がん、膵臓がん、前立腺がんなど関連性の高いがん |
血縁関係 | 第一度近親者(親、兄弟姉妹、子)での発症、複数世代にわたる発症 |
遺伝子検査
BRCA1/2遺伝子の変異を特定する遺伝子検査は、HBOCの確定診断において中心的な役割を果たします。
- 血液サンプルまたは唾液サンプルを用いて実施
- 2〜4週間程度で結果が判明し、専門医による詳細な説明が行われる
- 検査結果が陽性の場合、血縁者の方々にも検査を推奨
画像診断
HBOCのリスクが高いと判断された方には、画像診断を用いた定期的な検査が必須です。
検査方法 | 対象臓器 | 検査頻度 |
デジタルマンモグラフィ | 乳房 | 年1回以上 |
高解像度乳房MRI | 乳房 | 年1回 |
高感度経腟超音波 | 卵巣 | 半年に1回 |
自己検診の重要性と方法
定期的な自己検診も、早期発見につながる重要なチェック方法です。
- 乳房の自己検診:毎月決まった日に実施
- 皮膚の変化のチェック:月に1回程度、全身の皮膚を観察
- 体調の変化や不快感の記録:日々の体調変化を記録し、異常を早期に察知
精密なリスク評価モデルの活用
医療機関では、いろいろな因子を考慮したリスク評価モデルを用いて、HBOCの発症確率を推定します。
検査とチェック方法を組み合わせることで、HBOCのリスクを早期かつ正確に特定し、予防策や管理計画を立案することが可能です。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の治療法と処方薬、治療期間
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の治療は、予防的手術、化学療法、分子標的薬、免疫療法など多様な方法があります。
予防的手術
HBOCと診断された患者さんにとって、予防的手術は癌発症リスクを顕著に低減させる選択肢です。
手術の種類 | 対象臓器 | リスク低減効果 |
予防的乳房切除術 | 乳房 | 90%以上 |
予防的卵巣卵管切除術 | 卵巣・卵管 | 80%以上 |
化学療法
HBOCに関連する乳癌や卵巣癌の治療には、化学療法が検討されます。
- プラチナ系薬剤(シスプラチン、カルボプラチンが代表的な薬剤)
- タキサン系薬剤(パクリタキセル、ドセタキセルが広く使用)
- アントラサイクリン系薬剤(ドキソルビシンが主要な薬剤)
薬剤を患者さんの状態に応じて組み合わせた多剤併用療法が、標準です。
分子標的薬
BRCA1/2遺伝子変異を有する患者さんに対して高い有効性を示す分子標的薬の開発が、近年急速に進んでいます。
薬剤名 | 標的 | 適応 |
オラパリブ | PARP阻害剤 | 進行性乳癌、卵巣癌 |
タラゾパリブ | PARP阻害剤 | HER2陰性乳癌 |
ルカパリブ | PARP阻害剤 | 卵巣癌 |
PARP阻害剤は、BRCA1/2遺伝子変異を持つ癌細胞に効果を発揮することが、臨床試験や実臨床の場で明らかになっています。
免疫療法
最近の医学的進歩により、免疫チェックポイント阻害剤がHBOC関連の癌治療にも応用されるようになってきました。
- ペムブロリズマブ(PD-1阻害剤)
- アテゾリズマブ(PD-L1阻害剤)
免疫チェックポイント阻害剤は、患者さん自身の免疫系を活性化させることで、体内の癌細胞を効果的に攻撃する働きを持ちます。
ホルモン療法
ホルモン受容体陽性と診断された乳癌患者さんには、ホルモン療法も治療選択肢の一です。
薬剤の種類 | 作用機序 | 薬剤名 |
選択的エストロゲン受容体調節薬 | エストロゲン作用阻害 | タモキシフェン |
アロマターゼ阻害薬 | エストロゲン産生抑制 | レトロゾール、アナストロゾール |
使われる薬剤は、ホルモンに依存して増える性質を持つ癌細胞の成長を効果的に抑える作用があります。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)治療における副作用やリスク
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)に対する治療は、がん発症のリスクを大幅に軽減する一方で、患者さんの生活の質や長期的な健康に影響を及ぼす副作用やデメリットがあります。
予防的手術に伴う身体的影響
予防的手術は、がん発症のリスクを劇的に低減できるものの、手術そのものに伴うリスクや長期的な合併症があります。
手術の種類 | 副作用と長期的影響 |
予防的乳房切除 | 術後感染、慢性的な痛み、ボディイメージの変化 |
予防的卵巣卵管摘出 | 早期閉経症状、骨密度低下、心血管疾患リスクの上昇 |
薬物療法がもたらす副作用
HBOC患者さんに使用される薬物療法には、さまざまな全身への副作用が報告されています。
- 消化器症状(悪心・嘔吐、食欲不振)
- 外観の変化(脱毛、皮膚の変化)
- 全身症状(疲労感、倦怠感)
- 血液学的異常(白血球減少、貧血、血小板減少)
ホルモン療法による長期的な影響
ホルモン療法は長期にわたって継続されることが多く、日常生活への影響が大きいです。
副作用 | 日常生活への影響 |
更年期様症状 | 突発的なホットフラッシュ、寝汗による睡眠障害 |
性機能への影響 | 性欲低下、膣乾燥による不快感 |
骨代謝への影響 | 骨密度低下による骨折リスクの上昇 |
放射線療法に伴う局所的および全身的影響
放射線療法はがん細胞を標的とする一方で、照射部位周辺の健康な組織にも影響を与えます。
- 皮膚への影響(発赤、乾燥、かゆみ、色素沈着)
- 全身症状(疲労感、倦怠感の増強)
- 照射部位特有の影響(例:胸部への照射の場合、肺炎のリスク増加)
治療費について
実際の治療費(医療費)が以下説明より高額になるケースが多々ございます。以下記載内容について当院では一切の責任を負いかねます事を予めご了承下さい。
遺伝子検査の保険適用
HBOCの診断に欠かせないBRCA1/2遺伝子検査の保険適用が、2020年4月から開始されました。
検査項目 | 保険適用 | 自己負担額(3割負担の場合) |
BRCA1/2遺伝子検査 | 適用あり | 約20,000円〜30,000円 |
マルチ遺伝子パネル検査 | 条件付き適用 | 約30,000円〜50,000円 |
ただし、マルチ遺伝子パネル検査については、一部の条件を満たす場合にのみ保険適用です。
予防的手術の保険適用と費用
HBOCと診断された方に対する予防的手術も、一定の条件下で保険適用されるようになりました。
- 予防的乳房切除術:両側で約100万円〜150万円(3割負担の場合、自己負担額30万円〜45万円)
- 予防的卵巣卵管切除術:約50万円〜80万円(3割負担の場合、自己負担額15万円〜24万円)
手術費用には入院費等も含まれています。
薬物療法の保険適用
HBOCに関連する乳癌や卵巣癌の治療薬についても、多くが保険適用です。
薬剤名 | 適応 | 1ヶ月あたりの自己負担額(概算) |
オラパリブ | 進行性乳癌・卵巣癌 | 約10万円〜15万円 |
タラゾパリブ | HER2陰性乳癌 | 約8万円〜12万円 |
ペムブロリズマブ | 一部の進行性癌 | 約20万円〜30万円 |
遺伝カウンセリングの費用
遺伝カウンセリングはHBOCの患者さんに対して、重要なサポートになります。
- 保険適用あり:約5,000円〜10,000円/回(3割負担の場合)
- 保険適用なし:約10,000円〜30,000円/回
多くの医療機関で保険適用されますが、一部の施設では自費診療になることもあるので、事前にお問い合わせください。
以上
Lux MP, Fasching PA, Beckmann MW. Hereditary breast and ovarian cancer: review and future perspectives. Journal of molecular medicine. 2006 Jan;84:16-28.
Petrucelli N, Daly MB, Pal T. BRCA1-and BRCA2-associated hereditary breast and ovarian cancer.
Petrucelli N, Daly MB, Feldman GL. Hereditary breast and ovarian cancer due to mutations in BRCA1 and BRCA2. Genetics in Medicine. 2010 May 1;12(5):245-59.
Yamauchi H, Takei J. Management of hereditary breast and ovarian cancer. International journal of clinical oncology. 2018 Feb;23(1):45-51.
Nielsen FC, van Overeem Hansen T, Sørensen CS. Hereditary breast and ovarian cancer: new genes in confined pathways. Nature Reviews Cancer. 2016 Sep;16(9):599-612.
Hodgson A, Turashvili G. Pathology of hereditary breast and ovarian cancer. Frontiers in Oncology. 2020 Sep 29;10:531790.
Meindl A, Ditsch N, Kast K, Rhiem K, Schmutzler RK. Hereditary breast and ovarian cancer: new genes, new treatments, new concepts. Deutsches Ärzteblatt International. 2011 May;108(19):323.
Carroll JC, Cremin C, Allanson J, Blaine SM, Dorman H, Gibbons CA, Grimshaw J, Honeywell C, Meschino WS, Permaul J, Wilson BJ. Hereditary breast and ovarian cancers. Canadian Family Physician. 2008 Dec 1;54(12):1691-2.
Kobayashi H, Ohno S, Sasaki Y, Matsuura M. Hereditary breast and ovarian cancer susceptibility genes. Oncology reports. 2013 Sep 1;30(3):1019-29.
Yoshida R. Hereditary breast and ovarian cancer (HBOC): review of its molecular characteristics, screening, treatment, and prognosis. Breast Cancer. 2021 Nov;28(6):1167-80.